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松岡清次郎
創立者 松岡清次郎
1894(明治27)年1月8日 築地・小田原町の米穀商の三男として生まれた清次郎は、10歳の時に父と死別。母キクは女手一つで4人の子どもたちを育てました。清次郎は幼いころから柔道を習い、また、隣町の明石町にあった英語塾に通うなど、文武両道を備えた子どもでした。
当時の京橋区新川(現在の中央区新川)に開設されていた私立・中央商業学校へ進学。卒業と同時に銀座の貿易商に就職し、貿易のノウハウを身につけます。22歳で独立し、松岡商店を設立。当時は先進的だった第三国中継貿易を採用し、商才を発揮しました。
その後、倉庫業、不動産業、観光業、教育事業など数々の事業を手掛け成果を上げました。
はじめに貿易で扱ったものがイミテーション・ダイヤ。
その後、ルビー、ダイヤモンド、アレキサンドライトなど「美しいもの」にひかれた青年は、美術にも関心を寄せるようになり、日本画、陶磁器などを蒐集します。
同時に「義太夫」を通し、社会とのかかわりを深め、「語松(ごしょう)」という名前をいただき舞台で語ることもありました。また、戦時中に傷痍軍人を旅館に招いて慰問会を開いたり、義太夫協会の法人化に尽力したりと、自らが愛する義太夫の振興と発展に深く寄与しました。